【画像】小泉孝太郎・進次郎の実母、宮本佳代子はご健在!駆け落ち同然の結婚〜壮絶離婚の真相激白

父親は元政治家、小泉純一郎さん、弟も政治家の小泉進次郎さんという政治家系に生まれながらも異色の「俳優業」で活躍する小泉孝太郎さん。実のお母様「宮本佳代子」さんと小泉家の複雑な関係とは!?実は更にもう一人弟がいて…!

今回は小泉孝太郎さん&進次郎さんの実母「宮本佳代子」さんと小泉家について詳しくご紹介!

小泉孝太郎・進次郎の実母は宮本佳代子!

まずはサクッとプロフィールを(°∀°)

出典:まろぐ~marog~

・本名:宮本佳代子
・生年月日:1957年生まれ(2020年1月現在で63歳)
・出身地:神奈川県倉敷市
・出身校:青山学院大学
・血液型:B型
エスエス製薬の元会長「泰道 照山」氏の孫娘

あの大手製薬会社の元会長がおじいちゃんってすごーい。お嬢様だ(°∀°)

 

父「小泉純一郎」と母「宮本佳代子」の結婚

1978年、佳代子さんは大学4年生の頃小泉純一郎氏結婚しています。
出会いは1977年のお見合いだったらしいです^^

 


宮本佳代子さんが21~22歳の時ですね〜(°∀°)

佳代子さんは、お見合いをしたその当日(2日後という説も)にプロポーズを受けたとか。純一郎氏は決断の早い人物らしいですが、結婚に関しても即決w

 


この決断力が後に首相まで上り詰めた人間の器の大きさということなのでしょうか…自他共に認める『変人』らしいっす(°∀°)

 

宮本佳代子、祖父の反対を押して小泉純一郎デキ

結構当時、妊娠されていた佳代子さん。今で言う「授かり婚」だったのね(°∀°)

祖父であるエスエス製薬元会長の泰道照山氏は結婚には猛反対したらしい。

えっじゃあ何故お見合いしたの…(°∀°)… 

「婚礼前に妊娠とはけしからん!」って言ったかどうかはわかりませんがw

今ほどデキちゃった結婚に対して世間も寛容でなかった時代だろうしね…

佳代子さん自身も政治家の妻になることを不安に感じていたそうですが、純一郎氏は政治のことは何も分からずで良い。身一つで来いという包容力ある言葉を信じ、22歳の宮本佳代子さんは小泉純一郎氏の元へ…!!

そして、1978年7月10日に長男、孝太郎さんが誕生

その約3年後、1981年4月14日に次男である進次郎氏が誕生

 

ほぼ駆け落ちのようにして小泉家に嫁いだ宮本佳代子さん、子宝にも恵まれ、包容力ある旦那様と順調で幸せな家庭を築いているように見えたのですが…!

 

宮本佳代子、小泉家で除け者扱い…義姉達との不仲

20歳そこそこで小泉家に嫁いだ佳代子さんでしたが、小泉家は代々政治の世界に生きる家系

製薬会社の創始者を祖父に持つ宮本佳代子さんはいわゆるお嬢様育ち。

また、小泉家には義母の小泉芳江さん。3人の義姉(信子さん、道子さん、隆子さん)義弟(小泉正也氏)義兄弟の子供…と沢山の人間が同居する大家族でした。そんな空間に飛び込んだ彼女が疎外感を感じるのは仕方ないけど(T_T)

特に不仲だったと言われるのが姉の信子さん

当時の小泉家は純一郎氏よりも姉の信子さんに決定権が強く握られていたらしく、純一郎氏の秘書を務めるほどでした。まさに家族総出で政治業を固めていたようです。

こ、怖ー((((@Д@;)))) これ嫁と仲良くやれないタイプ…

ありきたりな嫁と姑(信子さんは小姑だけど)問題どんな家庭でも大なり小なり浮上する問題だけど、時代背景や政治の家系ゆえ、キツかっただろーなー(´д` 😉

常に小泉純一郎さんをサポートしている義理姉が更に同居しているという状況…家庭内でも抑圧され続けるし、政治の世界に無知な佳代子さんは仕事面でも純一郎氏を支えられるような術もなく(T_T)

出典:Maison de Lueur

若い頃の佳代子さん。知的な雰囲気で正統派の美人さんです(≧∀≦)

当然、宮本佳代子さんは育児や家事にも追われていたでしょう、そんな状態でいつしか孤立し除け者として扱われる姿は可哀想すぎる!旦那はうまく間を取り持つことが出来なかったんかい(´д` 😉

 

宮本佳代子、三男妊娠中に壮絶離婚

しかし彼女の健闘むなしく、その結婚生活はわずか5年未満で幕を下ろします。1982年、彼女が27歳で三男を妊娠中(6ヶ月)でした。

妊娠中に離婚ってよっぽどですよ?(´д` ;)赤ちゃんに大事なくて良かった…

佳代子さんは実家の倉敷へ。この時、孝太郎氏が4歳、進次郎氏は1歳になる可愛い盛りの2人の息子とほぼ生き別れの状態にT_T)

 


離婚理由はお察しの通り!今でいう完全モラハラ(モラルハラスメント)にあたるでしょう((((@Д@))))

更にはネットで噂される2つの理由もリサーチしておりますよ(°∀°)

①夫、小泉純一郎が宮本佳代子さんを庇わず家族の味方をした。

夫・純一郎氏は、とてもドライな性格らしいのです。

家で孤立する佳代子さんを庇うことをせず家族の肩を持ったことが原因と言われています。嫁姑の板挟みの旦那が上手くやれないってあるあるですけどねw

 

もともと家業として団結していた小泉家。宮本佳代子さんが圧倒的に不利なのは明確だったのに「お前は嫁だろ、自分で上手くやれ」って感じで深く考えてなかったのかね〜(´д` 😉

純一郎氏は離婚して出ていく宮本佳代子さんに「君子、去る者を追わず、来る者を拒まずだな」と発言。更に「養育費は一銭も払わない」とも言い放ったとか…

結婚当初からは考えられない冷たさに悪寒が…‼︎((((@Д@;))))

 

②宮本佳代子さんが創価学会信者だった。

結婚前からか?結婚後に入信したのか?定かではないですが…
佳代子さんが創価学会員であったということ。

これやばくない?(°∀°)w 創価学会=「公明党」ですやん。

 

もし本当なら、政治の世界において自民党議員内の親族に創価学会員がいると分かった時点で四面楚歌にされた可能性は十分に考えられます…話が色々極端だけど。

佳代子さんと純一郎氏、双方とも離婚理由についての明言してないので、あくまで噂止まりですけどね〜

 

孝太郎・進次郎子の親権は小泉純一郎に…

長男の孝太郎氏と次男の進次郎氏は純一郎氏が親権を持つことに。

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離婚後の1983年に生まれた三男佳長(よしなが)さんは佳代子さんに親権が与えられることになりました。

 

離婚後、孝太郎と進次郎のママは叔母〝道子〟

母が離婚して家を出ていき、残された孝太郎氏と進次郎氏の母親代わりとなったのが純一郎氏の姉の「道子さん」でした。

ちなみに、巷では孝太郎氏と進次郎氏の母親が別人で腹違いの兄弟だと噂もありますが、この噂はデマであり2人の母親は宮本佳代子さんで間違いないです

産みの親佳代子さん)と育ての親道子さん)がいるため、誤認情報として噂が流れたのかも(°∀°)

道子さんは純一郎氏よりも10歳年上で佳代子さんからみても、ふたまわり以上年上です。ほとんどおばあちゃんと孫くらいの年齢差な訳で^^;

純一郎氏は、二人の息子に道子さんを「ママ」と呼ばせた…

道子さんは2人を実の子のように献身的に愛情を持って育てたと言われています。孝太郎さん・進次郎さん自身も道子さんから愛情を感じて育ったと言っています。

出典:協会誌「大地」

道子さんが「本当の母親ではない」と明かされたのは孝太郎さんが高校2年生、進次郎さんが中学2年生の時でした。

 

孝太郎さんは薄々気づいていたそうですが、進次郎氏さんは、衝撃だったみたい。

でも少なくとも周りのお友達と自分たちのママの年齢が違いすぎるわけだし…兄弟で「ママ」の話とかしなかったのかね?孝太郎さん的に「本当のお母さんの話はタブー」という暗黙のルールを感じ取っていたのかな(T_T)

 

2016年、「ママ」道子さんが84歳で死去されます。純一郎氏、孝太郎さん、進次郎さん揃って涙ながらのお別れ。道子さん愛情深さが窺えますね。

そうそう、ネットで孝太郎氏や進次郎氏の母親死去説育ての親である道子さん死去の事実が原因です〜(°∀°)

生みの親である宮本佳代子さんは現在もご存命です!

 

宮本佳代子、離婚後は不動産会社入社しシングルマザー

小泉純一郎氏に「養育費は一切払わない」と言われてしまい、身重な身体ひとつで実家に出戻りした宮本佳代子さんは…

 

離婚の半年後に佳代子さんは三井不動産関連会社に入社

そこで超難関と言われる「宅地見物取引士」の資格に一発合格地元の神奈川県鎌倉市で富裕層ビジネス担当として現在も活躍されています。

すげーー!まさに「母は強し」(°∀°) てか佳長さん、めちゃめちゃ父親似(°∀°;)

そんな宮本佳代子さん、三男の佳長さんに「父親が有名でもそこに関係はない。あなたの親はサラリーマン。勘違いしないで生きて行きなさい」と言ってきたそう。

父親のことは明かしてるんだ。でも、事実だというだけで、そこからは何も派生しないんだと。佳長さんにしてみれば寂しさを感じますよね(T_T)

そんな波乱万丈な人生を歩んできた母、佳代子さんの背中を見て育った佳長氏も、現在は母親と同じ不動産業界で働いているそうです(°∀°)

 

末弟・佳長、「父に逢いたい」も願い叶わず…

2001年の夏と11月、佳長さんは当時の内閣総理大臣であった父・小泉純一郎氏に面会を希望する旨の電話をしていますが、いずれも秘書サイド(信子さん)に断られているそうです。

 

面会を断った理由としては、佳代子さんとの確執というよりも、小泉政権の影響力の強さと、カリスマ的注目を浴びていた小泉元首相のプライベートとして、マスコミの格好のネタにされるのを恐れたからと言われております。

政治家や有名人として生きるということは想像以上に不自由なのかもしれません。

また、父親と面会を望んだ佳長さんに対し、純一郎氏(信子さんが言った説もある)は「血の繋がりはあるが、親子としての関係はない」と言い放ったらしい…

うーん…悲しいけど、本当に宮本佳代子さんの言った通りだったんだね(T_T)

 

父の政界引退と共に変わり始めた家族のカタチ

しかし2008年。純一郎氏の政治家引退に伴い家族関係に変化が…

 

純一郎氏が進次郎氏に家業(政治)を任せた後、兄弟3人、仲良く自由にすれば良いと発言しています。また、佳長氏の事に至っては政界引退までは三男に会わないと決めていたとも。

なるほど。美談にすればこれが「政界という厳しい世界を生き抜いてきた人間の強い思考」なのでしょうが…。

見方を変えれば、政治家であり続ける為にはどんなものでも犠牲に出来るという政治家ファースト思考なんじゃない?と真面目に考えてみたり(°∀°)

 

末弟・佳長、遂に兄弟、父との再会が実現

実際、政界引退後の小泉家サイドと宮本佳長さんの関係は大きく変化したようで。

兄弟での食事の機会を幾度も重ね、遂には小泉家の御用達のお店で純一郎氏も交えた会食も実現しているようです。

 

あっの画像、佳長さんじゃなく「ムロツヨシ」さんねw あくまで3兄弟のイメージで!!w

また2013年には佳長氏の結婚式では、父・2人の兄、母・宮本佳代子さんと家族全員が揃ったというエピソードも。形はどうであれ、家族と呼べる人間たちが一同に祝儀の場に集うというのはとても素晴らしいことですね^^

そして小泉進次郎は佳長氏に対し「家族として守っていく」とスピーチ。やはりそこは血を分けた兄弟の絆が感じられる一言。佳長さん嬉しかっただろうな。

 

まとめ

さて、今回は小泉孝太郎氏と小泉進次郎氏の実母である宮本佳代子さんと小泉家の関係から紐解きご紹介しました!

いかがでしたか?

まさに壮絶な人生を歩まれてきた宮本佳代子さん。勿論、過酷な人生を生きる方は沢山いらっしゃるでしょうが、一つ言えるのはいつの世もたくましく、前を向いて生きる」ということですね(°∀°)

これからも両家の良縁が末長く続きますように^^

最後までお読みいただきありがとうございました。

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