黒柳徹子の若い頃って、可愛い美人!!驚きの子供時代…画像てんこ盛り☆

御年89歳黒柳徹子さんの若い頃が注目されまくってます(°∀°)w

タマネギ頭や世界一のパンダ好きを自負されている、極めて濃い個性をお持ちの黒柳徹子さんの若い頃をリサーチしちゃいます☆

黒柳徹子さんの若い頃

黒柳徹子さんの若い頃というと、よく出てくるこの写真。
画像右側のコメントにもあるように、この方は別人!!
「ひし美ゆり子」さんという女優さんです(°∀°)ウルトラセブンに出てた…
ということで黒柳徹子さんの若い頃の正しい写真がコチラ↓↓
30代半ばに、「一瞬やってみた」というロングヘア
ある時、NHKから出て、近くの通りを渡ろうと1歩前に出た瞬間。
強風に吹かれた髪の毛が顔全体を覆ってしまい、何も見えない状態に。
次の瞬間、突然左折してきた車が、猛スピードで徹子さんの目前を走り去った!
もし、あと少しでも前に出ていたら…((((@Д@))))怖
徹子さんはそれ以来、ロングのダウンスタイルはタブーだそうで。
ロングのセンター分けの写真は、これだけという貴重な一枚!

伝説!黒柳徹子はテレビ女優の第一号

テレビ創生期から現在までも現役で活躍してるなんて、まさに生きる伝説。
だって“始まりの女優”ですから!
黒柳徹子さんは「憧れのタレントさんはいない」らしいw
NHKからテレビ女優第一号として、テレビに出始めた徹子さん、20代前半。
当時はテレビが始まったばかりで、人員も少なく寝る時間も無い((((@Д@))))
コレは徹子さんが考え出した“究極の休憩スタイル”(°∀°)
マイクに鼻を乗せると、頭の重さが鼻にかかって軽くなり疲れがとれる。
ほんまかいなw

写真大好き、カメラマン徹子。

カメラマンになろうかと思ったくらい写真に夢中だった時代があったそう。
ロールフィルム前の写真機が時代を感じるねぇ(*ˊᵕˋ*)

20代らしいけど、カオスな忙しさの中、アグレッシブよね〜(°∀°)

 

小学校を退学?黒柳徹子の子供時代

びっくりしたんだけど。黒柳徹子さん、今でいう発達障害だったの知ってた?

著書『小さいときから考えてきたこと』(2001)でご自身が発達障害であることを告白されています。


出典:黒柳徹子オフィシャルInstagram

授業中に外の人に話しかけたり登校中にも関わらず他のものに興味が湧き、道草し過ぎて学校へ行くのを忘れてしまうということが日常茶飯事だったため、
「問題児」と判断されて小学1年生を3か月で退学になったのは有名な話。


出典:黒柳徹子オフィシャルInstagram

現在でいうADHD(注意欠如・多動性障害)の特徴を表すもの。

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当時は発達障害という概念が一般的ではなく、大変苦労されたことでしょう…

その後に通ったトモエ学園の先生や環境、何よりもご両親が、徹子さんを受け入れて、徹子さんの個性を伸ばせるよう教育を工夫してくれたおかげで、今日の黒柳徹子さんが在るんですね(*ˊᵕˋ*)

 

ニューヨーク時代

ニューヨークへ留学を決めたのは1971年、30代半ば。
それまでの徹子さんは実家暮らしで、家事は一切したことがなかったらしい。

初めての一人暮らしがNYってぶっ飛び過ぎw


出典:黒柳徹子オフィシャルInstagram

NY5番街での振袖姿がすごく様になっていて素敵◡̈♥
イースターパレードに参加した時のものですって。

一緒に写真を撮らせてって、人が集ってきてちょっとした騒動にw
翌日のニューヨーク新聞に、無名の徹子さんが大きく掲載されたというw


出典:黒柳徹子オフィシャルInstagram

ニューヨーク時代の一場面。この時38歳だって((((@Д@))))
肌も髪もツヤツヤ!若っ!!

NHKから女優に転身した徹子さん、忙しくも充実した毎日。
しかしご本人は満足していなかったようで…

「このまま芸能界の仕事を続けていたら、何も知らない大人になっちゃう」と思っていたそう。


出典:黒柳徹子オフィシャルInstagram

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舞台の仕事が増えてくると、「やっぱり、本場アメリカのブロードウェイで、演劇の勉強をしたい!」と一大決心!


出典:黒柳徹子オフィシャルInstagram

2〜3年かけて準備をして、仕事もCMも全部やめて、単身ニューヨークへ!!
全てが始めての経験で、毎日が楽しかったって。
そんな雰囲気が写真からも伝わってくる気がするね^^

 

玉ねぎ頭との出会い

そう、黒柳徹子さんのトレードマーク、「玉ねぎ頭」との出会いもNY。
そこで出会ったヘアスタイリストの須賀勇介さんが「玉ねぎ頭」生みの親。
須賀勇介さんは日本の美容師のパイオニア的存在。
顧客にはケネディー大統領夫人やダイアナ・ロスなど名だたるセレブ達(°∀°)

オリンピック金メダリストのフィギアスケーター、ドロシー・ハミルの「ハミルカット」考案者で、世界中の著名人に愛されたすごい人!!

出会いは、須賀さんのNYのお店にお客として訪れた時のこと。

どこの美容院に行っても、思うようにならなかった徹子さんのロングヘア。
“まとまりが悪い”と悩める徹子さんの長い髪を、須賀さんは何とピン一本で!!
美しくまとめ上げたのです!そんな須賀さんの腕前に、徹子さんは感動。
須賀さんと徹子さんはすぐに仲良くなり、その後も徹子さんがニューヨークに行った時は毎回、須賀さんのお家に居候させてもらっていたほどw
そんな須賀さんは1990年9月14日に48歳で病気のため亡くなっています(T_T)

ハイスペックな玉ねぎ頭

玉ねぎ頭には、驚くべき機能が…
何と飴ちゃんやお煎餅が収納できるんです!
更には「頭から飴を出すのは、心の清らかな相手にだけ」だというw
現場を目の当たりにした本田望結ちゃんの驚愕ぶりww

NY生活との別れ。再び日本の芸能界へ

演劇学校には毎日通い、夜は仲間とディナーへ、忙しくも充実したNYの日々。
テレビの仕事から1年離れて、今後について考えるのも悪くなかったようです。
仕事を休んでちょうど1年たった頃。
居心地の良さに、このまま2年くらい居てもいいかなぁ?と内心思っていた徹子さんのところに、テレビ朝日から新しく始まる「ニュース・ショー」のメインの司会者になって欲しいという依頼が来たのです。
当時、日本の番組は、メイン司会者は全て男性で、女性は傍に立つお飾り的存在。
まるで制服のように、皆が白いブラウスに紺のスカートといったお決まりの衣装。
たまに「えぇ」と相槌ち、「ニコリ」と微笑むくらいの存在。
そして、女性視聴者に反感を持たれぬよう、主婦もしくは主婦経験のある人に出演が限られていたらしいです。
徹子さんは、ご自身が“当時の求められている女性像ではなかった”ため、「ダメだと思う」と伝えました。ところが、テレビ朝日からは「だからお願いしているんです」と意外な返答。
「世の中、変わってきているんです。あなたみたいに独身で、ニューヨークへ行ったりして、自分の世界を持っている人の感覚が必要なんです。あなたに好きにやってもらいたい」と!!
徹子さんは、考えました。
「あと1年、ここで楽しく暮らすのは確かに魅力的。でも、どうせ仕事に戻るなら、新しい分野で仕事をしてみるのもいいかもしれない。」
1973年の秋、徹子さんは、日本に向けて飛び立ちました。
別れが辛かった人も、いたそうです。
プロポーズもされていたとか。
徹子さん、38歳の時でした。

まとめ

いかがでしたか?
今回は、黒柳徹子さんの若い頃についてお調べしました。
当時、まだまだステレオタイプで固定的な世の中
徹子さんは、本当に勉強家、努力家で明るく自由に、人生を楽しんでらした。
可愛らしくて、美しくて、素敵な女性です^^もちろん現在も。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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